ハリウッドで「好き」を仕事にした日本人たち——創作の自由を手に入れるまで
Photo: 久保田綾子, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
「なぜそれを作りたいの?」という問いから始まった
LAに拠点を置く映像ディレクターの木下雄介さん(仮名・34歳)が、アメリカでの仕事に慣れてきたと感じたのは、プロデューサーから「なぜあなたがこの作品を作る必要があるの?」と聞かれたときだったという。「最初は意味がわからなかった。日本だとクライアントの要望に応えることが仕事で、自分がなぜ作りたいかなんて聞かれたことがなかったから」。
その質問は、単なる面接のセリフじゃない。アメリカの映像業界では、クリエイターが自分の「視点」や「声」を持っているかどうかが、採用や起用の基準になることが多い。作品の技術的なクオリティと同じくらい、「あなたが作ると、なぜ面白いのか」が問われる。
日本の現場との、正直な違い
「良い悪いじゃなくて、システムが違う」と語るのは、ナッシュビルを拠点に音楽プロデューサーとして活動する岡田さくらさん(仮名・30歳)だ。日本のレコード会社でアシスタントとして数年働いた後、アメリカに渡った彼女は、最初のカルチャーショックとして「クレジット(制作者表記)へのこだわり」を挙げる。
「日本だと、曲を書いても名前が出ないことが普通にある。でもアメリカでは、コライトセッション(共同作曲)でも、誰がどのパートを作ったかを明確にして、ちゃんと権利として記録する。最初は細かすぎると思ったけど、それがクリエイターを守る文化なんだって気づいた」。
自分の仕事に名前がつく、という当たり前のことが、創作への姿勢を変えていく。さくらさんは今、自分名義でのリリースも行いながら、他アーティストのプロデュースも手がけている。
「日本っぽさ」はコンテンツになる
LAでアニメーション作家として活動する谷口ミサキさん(仮名・27歳)は、SNSで100万人以上のフォロワーを持つデジタルクリエイターでもある。彼女の作品は、日本のアニメ美学とアメリカのポップカルチャーを混ぜ合わせたスタイルで、とりわけZ世代のアメリカ人に人気が高い。
「最初は『もっとアメリカっぽくしなきゃ』って思ってた。でもあるとき、日本的な間(ま)の取り方とか、セリフじゃなく表情で語るシーンとか、そういう部分にアメリカのファンがものすごく反応してくれて。あ、これでいいんだって」。
日本のコンテンツが世界で愛される理由のひとつは、その「異質さ」にある。わかりやすさより、余白。説明より、感覚。それがグローバルな視聴者にとって、新鮮な体験として映る。ミサキさんはその感覚を、意図的に残し続けている。
自由には「自己責任」がセットでついてくる
ただし、アメリカの創作環境が無条件に楽園かというと、そうでもない。木下さんはこう続ける。「自由度が高い分、全部自分で取ってこないといけない。日本みたいに会社が仕事を割り振ってくれるわけじゃないから、営業も、契約交渉も、自分でやる。最初の2年は本当に食えなかった」。
さくらさんも「セルフプロモーションが苦手な日本人には、最初のハードルが高い」と率直に言う。「いい仕事をしていれば見てもらえる、って思ってたけど、見せにいかないと誰にも見つけてもらえない。それはアメリカで一番最初に学んだことかもしれない」。
自由は、主体性とセットだ。誰かに守ってもらう代わりに、誰かに制限される。その取引をやめたとき、初めて本当の意味での「創作の自由」が始まる。
日本の若い世代へ、彼らが伝えたいこと
3人に共通していたのは、「日本での経験を否定したくない」という気持ちだ。木下さんは「日本で身につけた丁寧さとか、現場への気配りは、アメリカでも確実に評価される」と言い、ミサキさんは「日本のアニメや漫画に育ててもらった感性が、今の自分の核にある」と語る。
さくらさんはこんな言葉で締めくくってくれた。「『日本を出ないと自由になれない』とは思わないけど、一度外から日本を見ると、自分の中の何が本当に好きで、何が刷り込みだったかがわかる。それがわかるだけで、どこにいても変わると思う」。
ハリウッドで夢を追う、というのは映画の中だけの話じゃない。LAの片隅で、ナッシュビルのスタジオで、SNSの画面の向こうで、日本人クリエイターたちは今日も「自分の声」を探し続けている。