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「あの人、会社つぶしたんだって」——日本では終わり、アメリカでは始まり。失敗を資産に変える起業家たちの話

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「あの人、会社つぶしたんだって」——日本では終わり、アメリカでは始まり。失敗を資産に変える起業家たちの話

Photo: Seb.von.st-sund, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

サンフランシスコのコーワーキングスペースで、佐藤健一さん(仮名・38歳)は自分のピッチデッキを広げながらこう言った。「前の会社は2年でたたみました。でも、そのおかげで今日ここに投資家と話せてる」

日本でこれを言ったら、会議室の空気が凍るかもしれない。でもサンフランシスコでは、それが「経験値の証明」として機能する。

失敗の「語り方」が、次のチャンスを決める

佐藤さんが最初に起業したのは東京。フードテック系のスタートアップで、当初は順調に見えた。しかし2年目に資金繰りが悪化し、投資家との方向性のズレが表面化。結局、会社を清算することになった。

日本でその後どうなったか。「知り合いのベンチャーキャピタリストに相談に行ったら、『また挑戦するのは少し待ったほうがいい』と言われました。前の失敗の印象が業界内に残っているから、と」

その言葉に納得できなかった佐藤さんは、思い切ってサンフランシスコへ渡った。現地のスタートアップイベントに顔を出し始めて驚いたのは、「失敗した話」が会話のつかみとして普通に機能していることだった。

「『前の会社はこういう理由でうまくいかなかった。だから今回はこう変えた』と話すと、投資家が前のめりになるんです。日本では隠したかった話が、ここでは差別化になる」

シリコンバレーの「失敗ナラティブ」という文化装置

なぜアメリカでは失敗がポジティブに評価されるのか。単純に「楽観的な国民性」で片付けるのは少し雑だ。

ひとつには、シリコンバレーを中心に発展してきたベンチャー投資の文化がある。VCが複数のスタートアップに投資するポートフォリオモデルでは、失敗は統計的に「想定内」だ。10社に投資して1社が大当たりすれば成立するモデルなので、失敗した起業家を「ダメな人」とは見ない。

むしろ、一度も失敗していない起業家のほうが「リスクを取ったことがないのでは」と疑われることすらある。

もうひとつは、失敗を「語る場」が制度として整っていること。「FailCon」(失敗に特化したカンファレンス)のような場が存在し、著名な起業家が自分の失敗談を公開の場でシェアする文化が根付いている。失敗を恥ではなく、知識として共有する仕組みだ。

東京とシリコンバレー、両方で戦った人が見た「差」

松本真理子さん(仮名・44歳)は、日本とアメリカそれぞれでスタートアップを立ち上げた経験を持つ。日本での1社目は教育系サービスで、3年で撤退。その後、ロサンゼルスでヘルステック系の2社目を立ち上げた。

「日本で失敗したとき、周囲の反応がとにかくつらかった。同情するか、そっと距離を置くか。誰も『次はどうするの?』とは聞いてくれなかった」

LA移住後、最初に参加したネットワーキングイベントで、「前の会社は何をやってたの?」と聞かれ、正直に「失敗した」と答えた。すると相手は「それ、どのフェーズで詰まったの?」と食い入るように聞いてきた。

「失敗の中身を分析しようとしてくれたんですよ。日本では失敗そのものに反応されていたけど、ここでは失敗から何を学んだかに興味を持ってもらえた。その差は本当に大きかった」

「リスクを取ること」への社会的サポートの違い

失敗への寛容度の差は、社会制度とも切り離せない。

日本では、会社員を辞めてリスクを取ることは「安定を捨てる」行為として見られがちだ。失業保険の仕組みや社会保障の構造が、「組織にとどまること」を合理的な選択にしている側面がある。

アメリカでは、そもそも終身雇用という概念が薄い。転職も起業も「普通のキャリアパス」として認識されているため、失敗しても「また別の道を探せばいい」という前提が社会に埋め込まれている。

日本の若い起業家が「失敗したときのことを考えると怖い」と言うとき、その恐怖は単なる心理的なものではなく、社会構造的な現実を反映している。

「失敗を売り物にする」という逆転の発想

佐藤さんは今、2社目の資金調達に向けてピッチを重ねている。投資家向けのデッキには、1社目の失敗から得た教訓を明示したスライドがある。「なぜ前回うまくいかなかったか」を自分で分析して見せることで、「この人は自己認識がある」という信頼につながる。

「失敗を隠す必要がなくなったとき、すごく楽になりました。それまでは自分のキャリアに後ろめたさがあったけど、今は武器だと思ってる」

もちろん、アメリカでも失敗がすべてポジティブに受け取られるわけではない。同じ失敗を繰り返す、学習していない、誠実さに欠けると判断されれば評価は下がる。大切なのは「失敗した」という事実ではなく、「失敗をどう解釈して次に活かしているか」という物語だ。

日本にも変化の兆しはある

近年、日本でも「失敗を恥じない起業文化」を育てようという動きが少しずつ出てきている。東京や大阪のスタートアップ界隈では、失敗談を語るイベントが開催されるようになり、若い世代を中心に「失敗=終わり」という感覚が薄れてきているという声もある。

ただ、銀行融資の審査基準、連帯保証の慣行、社会的な視線——これらが変わるには、まだ時間がかかりそうだ。

松本さんはこう締めくくった。「日本とアメリカ、どちらがいいというより、失敗を『次のための情報』として扱えるかどうか。それが起業家として生き続けられるかを分ける、一番大事なマインドだと思う」

失敗は終点ではなく、データだ。その感覚を、太平洋を渡ってきた起業家たちが少しずつ日本に持ち帰ろうとしている。

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