「痛みは10段階で言うと?」——アメリカの診察室で固まった日本人が気づいた、黙ることの代償
アメリカで初めて医者にかかったとき、最初の質問で頭が真っ白になった、という日本人は少なくない。
「On a scale of 1 to 10, how would you rate your pain?」
痛みを数字で表せ、と言われても、そもそも「これくらいで病院に来ていいのか」と思いながら予約を入れた身としては、正直な数字を答えること自体がハードルだった。「5くらいですかね……」と曖昧に答えながら、内心では「もっと辛いけど、大げさに言うのも悪いし」と葛藤していた——東海岸の大学に留学していたころの話だ。
「我慢できる」が伝わらない国
日本では「ちょっと具合が悪い程度で病院を占領するのは申し訳ない」という感覚が、特に中年以上の世代では根強い。症状を少し小さめに話す、「まあ、なんとかなります」と付け加える、医者の顔色をうかがいながら「先生がそう言うなら」と従う——こういったコミュニケーションが、日本の医療現場では自然に成り立ってきた。
ところがアメリカでは、医師は患者が「自分のことを一番よく知っている専門家」として話すことを前提にしている。症状の始まった日時、痛みの質(鋭いのか、鈍いのか、脈打つ感じがあるのか)、日常生活への影響度合い——これらを自分の言葉で正確に伝えることが、診察の出発点だ。
「言いすぎたら失礼かも」という発想は、アメリカの診察室にはほぼ存在しない。むしろ言わなかったことで、見落としが起きる。
「大丈夫です」が引き起こした誤診スレスレの体験
カリフォルニア州に移住して3年目のAさん(40代・女性)は、慢性的な胃の不快感が続いていたにもかかわらず、かかりつけ医の前で「食欲はありますか?」と聞かれて「まあ、食べられてはいます」と答えた。
実際には食欲はかなり落ちていたのだが、「食べられないわけじゃないし」と思ったのだ。
医師はその回答をそのまま受け取り、軽い消化不良として処方を出した。しかし症状が改善しないまま2ヶ月が過ぎ、別の医師に詳しく話したところ、精密検査が必要な状態だと判明した。「あのとき正直に言っていれば、もっと早く対処できていた」とAさんは振り返る。
「患者が情報を持ってくる」文化
アメリカの医療システムには、日本とは根本的に異なる前提がある。診察時間が短い(多くの場合15〜20分)からこそ、患者が事前に症状を整理して持ち込む必要がある。
よく言われるのが「症状リストを紙に書いて持参する」こと。これは日本人の目には「大げさ」に映るかもしれないが、アメリカでは珍しくもなんともない。むしろ医師側から「何か書いてきましたか?」と聞かれることさえある。
「主訴(chief complaint)」を明確にすること、過去の病歴やアレルギー、服用中のサプリメントを正確に伝えること——これらは患者の「義務」に近い感覚で捉えられている。日本の「先生にすべてお任せします」スタイルとは、根本的に役割分担が違う。
「遠慮」が言葉の壁を超えて悪化する
英語が母語でない日本人にとって、この問題はさらに複雑になる。
言いたいことを英語で表現しきれないもどかしさ、専門用語がわからない焦り、そして「変な英語で言ったら恥ずかしい」という羞恥心——これらが重なって、「まあいいや、大丈夫と言っておこう」という選択につながりやすい。
しかし医師は、患者の英語の流暢さを評価しているわけではない。ブロークンな英語でも、Google翻訳を使っても、通訳サービスを頼んでも構わない。アメリカの多くの医療機関には、電話通訳や対面通訳のサービスが義務として用意されている(連邦法により、一定規模以上の医療機関は言語サービスを提供する義務がある)。
「英語が完璧でなくても、正確に伝えることのほうがずっと大事」——これは当たり前のようで、日本人にはなかなか腑に落ちない感覚だ。
自分の体に「証言者」になる
アメリカで長く暮らす日本人の医療関係者に話を聞くと、共通して出てくるアドバイスがある。
「自分の体について、裁判の証言者になる気持ちで話してほしい」
感情や遠慮を脇に置いて、事実を正確に、時系列で話す。「いつから」「どこが」「どんな感じで」「何をすると悪化するか」「何をすると楽になるか」——この5点を押さえるだけで、診察の質は大きく変わる。
また、医師の説明がわからなかったときに「わかりました」と言ってしまうのも、日本人に多いパターンだ。「Can you explain that again?」「What does that mean in simple terms?」——こう聞き返すことは、失礼でも恥でもない。むしろ確認しないまま帰宅して、薬の飲み方を間違えるほうが問題になる。
「正直さ」は自己主張じゃなくて、自己防衛
日本では「控えめにする=品がある」という美学がある。でもアメリカの医療の場では、その美学が自分の体を守ることを妨げる。
「大げさに言ってはいけない」「迷惑をかけてはいけない」「先生の判断に従うべき」——こうした思い込みを一度棚に上げて、「今の自分の状態を、正確に伝える」ことだけに集中する。それが、アメリカで健康を守るための、もっとも基本的なスキルだと思う。
遠慮は美徳だけれど、診察室の中では、その遠慮があなたの体に返ってくる。
次に医者の前に座ったとき、「大丈夫です」と言いそうになったら、一度立ち止まってみてほしい。本当に大丈夫? それとも、「大丈夫と言っておくほうが楽」なだけ?