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保育園の門の前で気づいた——アメリカに「ママ友」はいない、でもそれが意外と悪くなかった話

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保育園の門の前で気づいた——アメリカに「ママ友」はいない、でもそれが意外と悪くなかった話

カリフォルニア州サンノゼの保育園。朝8時、駐車場に車を停めて子どもの手を引いて歩いていると、ほかのお母さんたちが次々と子どもを降ろしていく。目が合えば軽く微笑む。「Have a great day!」と声をかけ合う。そして、それぞれの車に乗り込んで、それぞれの一日へと消えていく。

アメリカに来たばかりの頃、この光景がどこか寂しかった。日本にいたときは、保育園の送り迎えのたびに少し立ち話をして、「今度ランチしませんか」とLINEを交換して、週末には公園で子どもたちを遊ばせながら大人同士もおしゃべりして——そういうつながりが育児を支えていた。それが当たり前だと思っていたのだ。

でも、アメリカにはそれがない。少なくとも、日本と同じ形では。

「ママ友」という概念そのものが存在しない

日本語で「ママ友」という言葉を英語に訳そうとすると、途端に困る。「mom friend」と言っても、アメリカ人には「ん? お母さんが友達なの?」という顔をされる。子どもを介して知り合った母親同士の友人関係、という概念が、そもそも英語にはない。

これは単に言葉の問題ではなく、文化的な構造の違いだと思う。

日本では、子どもが同じ保育園・幼稚園に通っているというだけで、親同士は自動的にある種の「共同体」に組み込まれる。行事の準備を一緒にして、情報を共有して、時には育児の悩みを打ち明け合う。そのネットワークから外れると、育児情報が入ってこなかったり、孤立感を覚えたりすることもある。

アメリカでは、子どもが同じクラスにいるというだけでは、親同士が親しくなる理由にはならない。それぞれが独立した個人として生活していて、たまたま子どもが同じ場所に通っているだけ、という感覚が強い。

孤独か、それとも自由か

アメリカでの最初の数ヶ月、保育園の前で感じた孤独感は本物だった。日本にいた頃は「ちょっと面倒だな」と思っていたママ友との付き合いが、なくなってみると急に恋しくなる。育児の情報はどこから集めればいいのか、子どもが熱を出したとき誰かに頼めるのか、そもそもこの国の保育事情はどうなっているのか——何もわからないまま、一人で手探りしている感じがした。

でも、少しずつ視点が変わってきた。

ある日、保育園の先生に「来週の行事、何か準備が必要ですか?」と聞いたら、「何もしなくていいですよ。全部こちらでやります」と言われた。日本なら親が集まって飾り付けを手伝ったり、お弁当を持ち寄ったりするような場面でも、アメリカでは「それはプロの仕事」という線引きがはっきりしている。

親は親で、先生は先生。それぞれの役割がある。

そう気づいてから、少し楽になった。

「コミュニティ」の作り方が違う

アメリカにコミュニティがないわけではない。ただ、作り方が日本とは根本的に違う。

日本のママ友ネットワークは、「子どもが同じ場所にいる」という受動的なきっかけから始まる。一方アメリカでは、「自分が何に興味があるか」という能動的な選択からコミュニティが生まれる。

たとえば、ヨガが好きなら近所のヨガクラスに通ううちに友人ができる。地域の子育て支援グループ(多くはFacebookやNextdoorで探せる)に自分から参加する。同じ文化的背景を持つ人たちのコミュニティに加わる——日本人ママの集まりや、アジア系ファミリーのグループなど、シリコンバレーやLAにはそういった場が意外と多い。

最初は「自分から動かないといけないのか」と少し面倒に感じた。でも考えてみれば、これは自分が本当に気の合う人と出会える可能性が高い、ということでもある。

「情報格差」をどう埋めるか

とはいえ、ママ友ネットワークの実用的な価値は否定できない。日本では、「あの小学校は宿題が多い」「あの先生は親切」「予防接種のスケジュールはこうすると楽」といった細かい情報が、口コミで自然に流れてくる。アメリカではそのルートがない分、自分でリサーチする必要がある。

実際にアメリカに住む日本人ママたちがよく使うのが、地域ごとのFacebookグループやYouTubeの体験談動画、そして奥書ドットコムのような日本語メディアだ。「アメリカ 子育て 経験談」で検索すると、同じ悩みを抱えた先輩ママたちのリアルな声が見つかる。

デジタルが代替してくれる部分は多い。ただ、深夜に子どもが急に高熱を出したとき、「大丈夫? 何かできることある?」と声をかけてくれるリアルな人間関係は、検索では代えられない。そこだけは、意識的に育てていく必要があると感じる。

「孤立」と「独立」は違う

アメリカで子育てをしていると、「ひとりでやっている」という感覚になることがある。でもそれは「孤立」ではなく「独立」なのかもしれない、と最近は思う。

誰かに気を使いながら情報交換するのではなく、自分のペースで、自分が必要だと思ったときに、必要な人とつながる。そういうスタイルが、アメリカの子育て文化には根づいている。

もちろん、日本のようなきめ細かいサポートネットワークが恋しくなる瞬間はある。でも同時に、「ママ友付き合い」のプレッシャーから解放されているという軽さも、確かに存在する。

保育園の門の前で感じた孤独は、今では少し違う色に見える。あれは孤独ではなく、新しい関係の作り方を学ぶための、スタート地点だったのかもしれない。


アメリカでの子育て経験や、コミュニティの見つけ方について、あなたのエピソードもぜひ教えてください。

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