謝らなかった日、私は初めて「患者」になれた——アメリカの医療現場で気づいた、日本人の「すみません」が奪うもの
待合室で気づいた、自分の口癖
ニュージャージー州に住む田中恵子さん(仮名・40代)が、かかりつけの内科に予約の10分遅れで駆け込んだとき、受付スタッフに真っ先に言った言葉は「すみません、遅くなってしまって」だった。英語ではなく、日本語で。
スタッフは「No problem, just fill this out」と笑顔で紙を差し出した。謝罪を期待していない、そもそも謝罪として受け取ってすらいない——そんな空気だった。
「あのとき、なんで私は謝ったんだろうって後から考えたんです」と恵子さんは言う。「遅れたのは渋滞のせいで、私がコントロールできることじゃなかった。でも体が勝手に動いてた」
これは、アメリカに住む日本人なら一度は経験する、あの感覚だ。
「すみません」は日本語の万能ツール
日本語における「すみません」は、単なる謝罪じゃない。感謝を示すときにも使う。注意を引くときにも使う。場の空気を和らげたいときにも使う。会話の潤滑油として、日本人はこの言葉を一日に何十回と使っている。
問題は、その習慣をそのままアメリカの医療現場に持ち込んだとき、まったく違う意味として受け取られることがある、という点だ。
ロサンゼルスで内科医として働く日系アメリカ人の医師は、こう話す。「日本からの患者さんが『すみません、こんなことを聞いていいですか』と言いながら質問してくることがある。でも英語圏の文化では、そういう前置きをする必要はまったくない。むしろ、なぜ謝っているのかが謎で、患者さんが萎縮しているように見えてしまう」
つまり、謙虚さを示すつもりの行動が、自信のなさや不安として映ることがある。
検査結果が悪くても、謝らない
さらに驚くのが、検査結果に関するやりとりだ。
血糖値が高い、コレステロールが基準を超えている——そういった結果を告げられたとき、日本人患者の多くが「すみません、気をつけていたんですが……」と謝罪に近い言葉を口にするという。
アメリカ人の患者はどうするか。「So what do we do about it?(で、どうすればいい?)」と次のステップを聞く。
この違いは小さいようで、実はかなり大きい。
謝罪から会話を始めると、医師との関係が「先生と生徒」「上と下」という構造になりやすい。一方、次の行動を問う姿勢は、医師と患者が対等なパートナーとして問題に向き合う関係を作る。アメリカの医療文化は、後者を前提として設計されている。
「患者が萎縮してしまうと、本当に大事なことを聞けなくなる」と前述の医師は続ける。「副作用が心配とか、別の治療の選択肢はないかとか、そういう質問こそ患者が発言しなければ出てこない情報なんです」
「迷惑をかけてはいけない」という刷り込み
なぜ日本人はこんなにも謝るのか。
文化的な背景として、よく挙げられるのが「迷惑をかけてはいけない」という規範だ。他者の時間や労力を使うことへの罪悪感が、日本では幼少期から内面化されやすい。医師に質問することも、受付に確認を求めることも、「相手の手を煩わせている」という感覚として処理されてしまう。
でも、アメリカの医療現場では発想が逆だ。患者が積極的に情報を伝え、疑問を口にし、自分の状態を正確に説明することが、良い治療の前提とされている。黙って従う患者より、質問の多い患者のほうが「ちゃんと向き合っている」と評価されることさえある。
シカゴ在住の伊藤さん(30代・女性)は、産婦人科での経験をこう振り返る。「妊娠中に何度も細かい質問をしていたら、担当の助産師さんに『あなたはすごくちゃんと考えてるね』って言われたんです。日本だったら、うるさい患者って思われてたかもしれない」
謝罪をやめた日
恵子さんは最近、意識的に「すみません」を使わないようにしているという。
「最初はすごく怖かった。なんか失礼なことをしてる気がして。でも、謝らずに『I have a question』って言うだけで、先生の反応が変わった気がしたんです。ちゃんと向き合ってくれるというか」
変わったのは医師の態度だけじゃない。自分自身の気持ちも変わった。
「謝ってると、なんか自分が悪いことをしてる感じがずっとあって。でも謝らなくなったら、私も患者としてここにいていいんだって思えるようになった」
これは、単なる言葉の話じゃない。医療という、自分の体と命に関わる場所で、自分がどう存在するか、という問題だ。
言葉より先に、立場を変える
アメリカの医療文化に慣れてきた日本人の多くが口にするのが、「患者として権利を持っていい」という感覚だ。
予約時間に遅れることがあっても、それは謝罪の対象じゃなく、状況の説明で十分。検査結果が思わしくなくても、それは患者の失態じゃなく、一緒に解決する課題。質問が多くても、それは「迷惑」じゃなく、治療への関与。
この発想の転換は、英語が堪能かどうかより、文化的なマインドセットの問題として日本人に立ちはだかる。
「すみません」を言わない勇気、というのは大げさに聞こえるかもしれない。でも、その一言を飲み込む練習が、アメリカでの医療体験を根本から変えることがある。
謝らなかった日、恵子さんは初めて「患者として」診察室に座れた気がした、と言う。その感覚は、どんな薬より効いた、と笑いながら。